「気まぐれライフジャーナル」をご覧いただきまして、ありがとうございます。
「気まぐれライフジャーナル」とは
はじめまして!
Webライターとしていろいろな記事作成をしている鷹山です。
『気まぐれライフジャーナル』は、私が気になる情報について、
・今話題のあの商品ってどうなの?
・トラブルが発生して困っているけど対処法ってない?
・世間を騒がしている話題の場所ってどこ?
・あのニュースの真相は何?
などなど、今話題になっているけど、情報を知りたいという情報について、お届けするメディアです。
これまでの自分が体験してきたこと、衛生管理者として培ってきたことを記事化して、世の中の疑問を解決します。
自己紹介
改めまして!気まぐれライフジャーナル管理人の鷹山です。
Webライターの鷹山として記事執筆、在宅での事務代行のお手伝いも行っています。
また、コンビニ従業員として主に夕方・夜間の対応を行っています。
第1種衛生管理者の資格保持者であり、約12年、企業で衛生管理者をしており、産業医との連携で、従業員の健康管理や職場改善に携わってきました。
これまでの経験を生かし、記事作成を行っています。
コンビニ従業員としての歴史
最初のコンビニ(約25年前)
学生時代に2年、社会に解き放たれてから3年、深夜の時間帯で勤務していました。
リーダーとなり、夜間から早朝の対応を行っていました。
今思えば、あの頃はジャンプがかなり売れてたな!
毎週100冊以上、いなか街のコンビニでしたが入荷してきていました。
まだレジ横のホットフーズも、フランクフルトとアメリカンドック、から揚げくらいしかなかったな……
今はそれら以外にも、フライドチキンやハッシュドポテト、つくね棒やらいろいろありますよね。
ほんと商品展開も多くなったものだ。
その店舗はオーナーさんがFCの契約を終了することになったため、退職することとなりました。
今でもその時のオーナーさんとは仲良くさせて頂いています。
人生2度目のコンビニ勤務
最初に働いた店舗のオーナーや店長と一緒に、働いた店舗のシャッターを下ろした日から約15年。
近所のコンビニで、夕方勤務の従業員2人、就職が決まったということで退職することとなりました。
2人ともベテランの人たちだったようで、店長も困っていました。
そこで、15年のブランクはあるものの、過去にリーダーもやってた経験があることから、勤務入ってもいいよ!
ということで、オーナーの面接を受け15年ぶりにコンビニ業界に復帰。
ずっとリーダーの試験を渋って受けずにいましたが、2023年の秋、とうとうリーダーの研修を受け、リーダーになりました。
今はバイトの高校生たちと混ざり、おじさん店員として今の店舗を護っていければと思っています。
Webライターとしての歴史
幼稚園時代から読書が好きな男の子でした。
親が百科事典を買うと、1巻から24巻くらいまであったものを、飽きずに毎日読んでいました。
小学生時代。
当時の徳島県内では一番歴史が古く、教室建屋と離れた場所に個別に立てられた図書館を持つ小学校でした。
4年生くらいから毎日2冊ずつ本を借りて帰るようになり、卒業までに多くの本を読みました。
小学校のクラブ活動は運動部ではなく読書部。
委員会活動は図書委員会という徹底ぶりでした。
中学生時代は、部活と勉強、それにラジオにハマっていたこともあり、読書からは離れた生活を送りましたが、学生時代になると、学校の図書室や自治体の図書館、本屋さんで買ったりして色々なジャンルのものを読んでました。
そのような過去に本を読みこんだことで、子どもの頃から作文も大好きでした。
学生時代の白紙に筆記するようなテストなんかでも全然苦手意識はなかったです。
そのような書くことへの苦手意識がなかったことが、今のWebライターの礎を作っているように思います。
これまでに対応したことのあるジャンル
・ダイエット関連
・商品紹介
・歴史コラム
・寺社、仏閣
・スピリチュアル系
・ニュース解説
・パーソナルジム、フィットネス関連
・探偵関連
・ライフハック関連
・相続関連
・不動産紹介
・地域情報関連
・雑学関連
・その他
執筆依頼も承ってますので、問合せフォームからお声がけいただければと思います。
企業様のサイト内ブログ作成もお任せください。
派遣会社従業員時代
25歳の頃、夜は家庭教師をしていたことで、昼間の時間を持て余すようになっていました。
残業の無い、朝8時頃から夕方5時までの仕事を探していると、人材派遣での工場勤務の仕事がありました。
そこで2年仕事をしている中で、派遣先の役職者の方にも作業内容を認められ、新規部署に入る派遣のリーダーとして部署移動してほしいという話が出てきました。
その部署も昼勤務なので基本は残業無しとのことでしたので、異動する形になりました。
そのときに、派遣元の中でも社員登用していただき、派遣会社の社員として、部署管理をすることになりました。
そこから約12年、派遣会社の社員として工場での製造派遣、製造請負の管理部門で仕事をさせて頂きました。
安全管理者、衛生管理者として約10年、先方の安全・衛生課の社員の方とも一緒に活動を行いつつ、会社独自の活動なども行っていました。
また品質管理関連もあったことから、ISO9000やTS16949関連の書類管理なども行っていました。
青果会社時代
派遣会社を退職した後、地元の青果会社に転職します。
玉ねぎがメインの青果会社であったことから、加工作業や倉庫・出荷作業なども行っていました。
玉ねぎに関していろいろと学ばせていただいた2年間でしたが、体調を崩してしまったことから退職。
社長や当時の従業員のメンバーには、とても迷惑かけてしまった退職となってしまいました。
140kgからのダイエット中
鷹山は、中学生時代バスケをしていました。
当時から183cm、体重75kgと大柄な体格をしていましたが、県総体が終わり引退すると、そこから体重だけが上昇。
18歳の頃に体重が100kgを越すと、そこから39歳まで2桁になることはなく、110kgから130kgをいったりきたりしていました。
39歳の頃、青果会社では体を使う仕事だったので、2年間で順調に体は締まっていき、体重も20年ぶりに2桁になり、90kgまで落ちました。
ですが、そこで体調を崩し、自宅療養生活に突入。
リバウンドしてしまいます。
そこから2年で130kg台に舞い戻り、ダイエットをしつつもそこから1年で142kgまで体重は増えてしまいます。
もう若くない状態でこの体重はヤバい!
そう思いながらダイエットを再度スタートしています。
20代の頃には、色々なダイエット方法を試してきました。
今でこそYouTubeやテレビ番組なんかで試してみた系の内容のものがあるものの、当時は健康系の雑誌やテレビ番組のダイエット特集なんかを見てのダイエットでした。
今は年齢と過去の経験に沿って、ダイエットを進めています。
まとめ
この『気まぐれライフジャーナル』は、これまでの自身の経験してきたことや現在興味のあることや、お仕事を頂いている案件に関することなどで勉強したことなどを発信していくことを目的に再出発しました。
このブログでは、私自身が学んだ内容や知識を得た情報など、興味深い情報も発信していきたいと思います。